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横山幸雄

2017年10月16日 (月)

SACD: 横山幸雄(Yukio Yokoyama)「Yukio plays Yokoyama」

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SACD: 横山幸雄(Yukio Yokoyama)「Yukio plays Yokoyama」
Sony Music Japan International, Inc. SIGC 20 2002年
SACD、ステレオ2チャンネル
2017年10月にヤフオク!で購入。1000円

懐かしさ
楽曲
演奏 ★★
録音
購入満足度 ★★

以前、商業誌で製品レビューを書いていて、そこでは、酷評するしかない製品であった場合には、基本としては、それを掲載しない、ということにしていた。悪い製品を紹介するより、良い製品を紹介することに限られた誌面を使うべきではないか、という考えからだ。

この「ハイレゾで行こう!」でも、これまでは、なるべく、お薦めしたいディスクについて記事を書くよう心がけてきた。で、この「Yukio plays Yokoyama」であるが、これは、買うことをお勧めはしない。ただ、私自身が購入を後悔しているかというと、そうでもない。なぜなら、このディスクは、「この音はなぜ私の心に響いてこないのか」を考えさせてくれたからだ。

横山幸雄さんという人はピアニストで、自分でも作曲をしてみようということである。冊子には本人の文章があり、それを読むと、まじめに取り組んでいることがわかる。悪い人ではなさそうだ。でも、どうしてこうなんだろうか。もしかしたら、この人は、音楽というものを、私が捉えているような形では、まったく理解していないのかもしれない。私とは、全然違う捉え方をしているのかもしれない。こういう人がいるってのは、怖いなあ、と思う。

冊子では、諸井誠さんという人が「ピアニスト=作曲家・横山幸雄にエールを!」という文章を寄せている。これがまたすさまじい。

「横山君が近い将来、作曲家なら一度は体験するはずの壁を越え、さらに『オリジナル性獲得』への険しい道に歩みを進めていく過程を温かく見守りたい。」

これは、言い方を変えれば、作曲家として体験するはずの壁を越えていない、つまり作曲家とは言えない、オリジナル性は微塵もないし、将来獲得できるかどうかと言われれば難しいかも、である。ディスクに寄せる文に、よくこんなものを書けたなあ、と思う。これを読んで、この音楽がダメダメだと思ったのは、私だけではなかったのだな、と思った。

録音は、特筆したいほどに音が小さい。コンプレッションをかけていない。音量つまみを上げねばならず、いつなんどき爆音が響くのか、警戒しつつ聴くことになる。私は過度なコンプレッションやリミッティングは嫌いだが、その逆の例は、かなり珍しいと思う。あと、音が強くなるとリバーブが不自然に増える。それで、余計音が遠くなる。

録音のせいか、演奏のせいか、それとも曲のせいか、このディスクの音はこっちに来ない。迫ってこない。向こうで鳴っている。音量が上がってもこっちに来ない。訴えてくるものがない。ピロピロ弾いているだけだ。

ピアノは、子供が習うのに適した楽器である。これほどに音を出すのが簡単な楽器はないからだ。それはピアノの強みであり、弱みでもある。音を出すのが簡単であるがために、安易に音を出すことに慣れてしまうことがある。そうなると、1音1音が非常に弱いものになる。力がない音を羅列する。ピアニストは、そうなっている人がけっこう多い。

Antonio Carlos Jobimを聴いた後でこのディスクを聴いたのがまずかったかもしれない。ジョビンのピアノは、音数は少ないものの、1音1音が、一発一発とでも呼びたくなるような力を持っている。ばんばん来る。迫ってくる。横山幸雄の音には、そういう力がない。弾いているだけ、鳴っているだけだ。

このごろ、坂本龍一のCDを数多く聴いているのだが、聴けば聴くほど、自分が小学生の時に聴いたYMOに、そしてその後の坂本に影響を受けていることがわかる。どれもすっと来る。坂本龍一のピアノは、うまくはないが、素敵である。

ピアノの罠、ってのは、あるよなあ。

H2

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